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 ●宋

 後周の武将であった
趙匡胤(今でいう北京出身)が960年宋を建国。
 北宋・・・太祖・趙匡胤が死去すると弟の趙匡義が太祖の子である徳芳をさしおき太宗として
 皇帝になる。
 宋の真宗は同盟を結んだ西夏(姜族のタングト族)と遼(キタイ帝国)
 に贈り物をして平和を得る。
 この「澶淵(せんえん)の盟」により契丹(キタイ)と親類づきあいをする。

 ●この屈辱外交により負け惜しみの中華思想が生まれる。
 軍事力は強くても文化程度が低い野蛮人を蔑む思想である。
 要するに、自分が弱いから出てきた思想である。

 その後西夏との小競り合いが続き、軍費を拡大し財政逼迫の為に増税すると各地で反乱が
 おきる。
 神宗の時代に王安石の改革、これにより新法派と旧法派の対立が起きる。
 キタイを滅ぼした金との約束をほごにした宋は靖康の変(徽宗・欽宗父子と3千人
 が拉致された事件)で金に滅ぼされかかり、南に趙構は逃げるこれが南宋である。
 講和により金と南宋の南北朝時代をむかえる。


 80年にわたり平和が維持される。キタイの耶律 大石ヤリツタイセキは逃げて西遼をつくる。
 トルコ人は西遼をカラ・キタイ(黒い契丹)と呼んだ。87年続いたがクチュルクに滅ぼさ
 れる。
 クチュルクもチンギス・ハーンに殺される。
 西夏を降伏させたチンギス・ハーンも病気で死ぬ。

 南宋・・・金との対立派・岳飛と和平派・秦檜との対立が高宗の代で起こる。
 対立派の岳飛らが殺され、南宋は金の臣下として屈辱的に銀や絹の贈り物をする。
 後世、秦檜は漢奸かんかん=売国奴、岳飛は大英雄扱いされる。

 金と南宋の争いが続き、金はモンゴル高原の動向に注意を払えなくなった隙に
 チンギス・ハーンがモンゴルを統一。

 【最後】
 最終的に金も南宋もモンゴルに滅ぼされる。(金は2代目オゴディによって)
 西方に進出し金も滅ぼしたモンゴル帝国の版図はユーラシア大陸全域に拡大したが、
 オゴディ・ハーンの死去により進軍を中止して東方に引き上げる。
 ジョチ家のバトはヴォルガ湖畔にとどまり、キプチャク・ハーン国をつくる。
 これは「黄金のオルド(白オルド)」と呼ばれた。500年間ロシアに君臨。

 タタールの軛(くびき)からロシアの君主が初めて独立できたのは、ロマノフ王朝の
 ピョートル1世の時代。

 モンケ・ハーン(父はチンギス・ハーンの4男トルイ)は弟のフビライに南宋の討伐を命じる。
 チンギス・ハーン(本名:テムジン)の孫のフビライ・ハーンが元朝の皇帝に。

 ■ここがポイント・・・
 二つの宋王朝が異民族の侵略によって悲運な運命を迎えたことは、人民に対する支配に成功
 しても異民族に対する支配と中華秩序に維持に失敗すれば滅びる以外にない、
 という後世への教訓となった。

 北宋の皇帝 一覧 新漢民族(鮮卑や突厥)
 1. 太祖(趙匡胤、在位960年 - 976年)
 2. 太宗(趙光義、在位976年 - 997年)
 3. 真宗(趙恒、在位997年 - 1022年)
 4. 仁宗(趙禎、在位1022年 - 1063年)
 5. 英宗(趙曙、在位1063年 - 1067年)
 6. 神宗(趙頊、在位1067年 - 1085年)
 7. 哲宗(趙煦、在位1085年 - 1100年)
 8. 徽宗(趙佶、在位1100年 - 1125年)
 9. 欽宗(趙桓、在位1125年 - 1127年)
 金に滅ぼされる。

 南宋の皇帝 一覧 新漢民族(鮮卑や突厥)
 1. 高宗(趙構、在位1127年 - 1162年)
 2. 孝宗(趙眘、在位1162年 - 1189年)
 3. 光宗(趙惇、在位1189年 - 1194年)
 4. 寧宗(趙拡、在位1194年 - 1224年)
 5. 理宗(趙昀、在位1224年 - 1264年)
 6. 度宗(趙禥、在位1264年 - 1274年)
 7. 恭帝(趙㬎、在位1274年 - 1276年)
 8. 端宗(趙昰、在位1276年 - 1278年)
 9. 衛王(趙昺、在位1278年 - 1279年)
 モンゴルに滅ぼされる。
  
 
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