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●五代十国
五代・・・後梁,後唐,後晋,後漢,後周・・・後唐・後晋・後漢は突厥の王朝であった
十国・・・前蜀・後蜀・呉・南唐・呉越・閩(びん)・荊南(けいなん)・楚・南漢・北漢

後梁
1. 太祖(朱全忠、在位907年 - 912年)[907から912まで在位]
2. 郢王(朱友珪、在位912年 - 913年)[912年6月に太祖朱全中を殺害し即位したが、
913年2月に弟朱友貞により殺害された
3. 末帝(朱友貞、在位913年 - 923年)[913年に兄の朱友珪を殺害し、帝位についた[3]。
923年10月後唐軍の攻撃を受け、開封府城内で自害した
後漢(こうかん)・・後漢(ごかん)とは別
1. 高祖(劉知遠、在位947年 - 948年)テュルク系突厥沙陀部出身
2. 隠帝(劉承祐、在位948年 - 950年)
後周こうしゅう・・
1. 太祖(郭威、在位951年 - 954年)
2. 世宗(柴栄、在位954年 - 959年)
3. 恭帝(柴宗訓、在位959年 - 960年)
後唐こうとう
1. 荘宗(李存勗、在位923年 - 926年)
2. 明宗(李嗣源、在位926年 - 933年)
3. 閔帝(李従厚、在位933年 - 934年)
4. 末帝(李従珂、在位934年 - 936年)
後周
1.太祖(郭威、在位951年 - 954年)
2.世宗(柴栄、在位954年 - 959年)
3.恭帝(柴宗訓、在位959年 - 960年)
後周・恭帝の帝位を簒奪(さんだつ)した近衛兵の総司令官・趙匡胤が宋王朝を建国。
これにより五代十国と言う混乱の時代に終止符が打たれる。
正史・宋史によると趙匡胤の父の趙弘殷(ちょうこういん)はトルコ人の後唐の
荘宗の親衛隊長でその祖先は北京出身(唐の時代には北京は遊牧民の中心地だった)だった。
したがって北宋の帝室も遊牧民の血を引いている可能性もある。
意識の面では純粋の漢民族だと思いこむようになっていた。
北宋は漢人が建てた王朝だと言われてるが疑問が残る。
鮮卑や突厥の新漢人と言うべきだろう。
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