|
|
●中華民国
孫文が清に対して武装蜂起を10回にわたり試み、ついに1911年の辛亥革命を成功させる。
1912年1月、中国史上初の共和国・中華民国が成立。268年続いた清王朝滅亡。
秦の始皇帝以来、断続に続いてきた皇帝制度は崩壊,ここから中国と言う国が誕生。
つまりその前は中国人と言う言葉も無いのである。
ところが戦後、蒋介石が「支那は蔑称だから使わないように」と言い、GHQの命令を
受けた日本は支那をすべて中国と書き換え、英語のチャイナも中国と翻訳してしまった。
明治以来、日本人が研究してきたシナ通史も中国史とされ、嘘ばかりが流布して今日に
至っている。
孫文からポストを譲られた袁世凱が臨時大総統という共和国最高の地位につく。
そして帝政を復活させようとして皇帝になるが、周りから強烈な反発にあう。
袁世凱が皇帝になれば次の皇帝もその息子になり、自分達が頂点に立つチャンスが
なくなるからである。
袁世凱が急逝すると中国は各地に軍閥が割拠する分裂の時代になる。
第一次世界大戦後
五・四運動・・・
1919年に締結されたベルサイユ講和条約によると敗戦国ドイツが持っていた
山東省の権益が中国ではなく日本に譲渡されるとあった。コミンテルンの煽動もあり
この条約に不満を持った学生たちが北京の天安門広場に集まり、政府高官の邸宅に火を
つけるなど抗議。世論に押された政府は講和条約の調印拒否。
孫文は中国国民党を立ち上げ、1924年に共産党との合作に踏み切り広東で
第一次全国代表大会を開く。
孫文の死後、蒋介石が反共クーデターを起こし、共産党員を粛清したため第一次国共
合作は崩壊。
軍閥の内戦・・
北洋軍閥は、段祺瑞率いる安徽派と呉 佩孚らが率いる直隷派が対立。
1920年7月安直戦争で両者が激突。奉天派の味方により直隷派の勝利に終わる。
段祺瑞は辞職に追い込まれ安徽派は崩壊。1922年今度は奉天派と直隷派が対立。
直隷派の呉ハイフと奉天派の張作霖の間に第一次奉直戦争が始まり、直隷派が勝利。
奉天派は孫文や安徽派の残存勢に近づき、反直三角同盟を結ぶ。
呉ハイフに不満を持つ馮玉祥・胡景翼・孫岳を味方に引き入れる。
1924年第二次奉直戦争が勃発。今度は直隷派の戦線が崩壊。
奉天派に協力した馮玉祥は紫禁城で暮らしていた溥儀を追放し、クーデターに成功。
この政変は北京政変と呼ばれ、以後、奉天派と馮玉祥が実権を握る。
その後、馮玉祥は奉天派と呉ハイフに挟み撃ちにされ敗退。
ところが北方の群雄割拠は相変わらずだった。
北伐・・群雄割拠の時代、孫文の死後、蒋介石が国民党の実権を握る。
最終的に張学良が国民党に降伏、北伐は蒋介石により完了。
蒋介石と対立していた汪兆銘を首班とする国民政府が日本の支援により南京に成立。
魔都上海・・蒋介石には杜月笙(とげつしょう)という親友がいた。
彼は蒋介石に膨大な資金を融通。
積極的に慈善事業も行う、上流階級の名士だった。
しかし裏の顔は秘密結社・青幇(ちんぱん)のドンだった。
20世紀の上海を代表する暗黒街の顔役だった。アヘン、ヘロイン、売春、賭博が
彼らの収入源だった。そして彼は筋金入りの反共産主義者だった。
蒋介石が起こした上海クーデターでは手下に命じ、何百人もの共産主党員や労働者を
虐殺。
第二次世界大戦後、共産党が支配するようになると、青幇(ちんぱん)は
力を失い、1951年杜月笙が亡くなると青幇(ちんぱん)自体も終焉を迎える。
|
|