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 ●明

 白蓮教は南宋時代に茅子元が創始した阿弥陀信仰の一種とされるが西側の危険な宗教と
 合体しながら新しい宗教となった。現世を否定する終末思想や救世主思想を持ったために
 為政者により否定され秘密結社になった。
紅巾軍の朱元璋は天下を取ると白蓮教を弾圧。
 不満分子を吸収する白蓮教は明の時代に2回、後の清の時代にも王朝を脅かす。

 
朱元璋による粛清・・・胡惟庸は、朱元璋の旗揚げの時の仲間であり、左丞相の役にあった。
 胡惟庸(こいよう)とその一味とみなされた者は次々に逮捕され粛清されていった。
 (胡党の獄=胡惟庸の獄)
 その後、藍玉の獄が始まる。さらに文字の禍(もんじのか)、光、則、生の文字を
 使った者を処刑。元の仲間を殺し、国を完全に乗っ取る。

 朱元璋が死去、孫で2代目の建文帝・朱允炆(いんぶん)が即位すると戦乱の時代が始まる。

 
靖難の役・・・洪武帝の弟の燕王が自分も粛清されるのを恐れ先手を打つ。
 建文帝の君側の奸を取り除き難を靖んずることを目指すというもので建文帝への反乱
 ではないとした。が戦いが長期化し3年目に決着がつき建文帝が政治的に抹殺される。
 建文帝の叔父の燕王が3代目成祖・永楽帝となる。朱棣(しゅてい)
 自分の本拠地の北京へ遷都する。この時初めてこの町が北京と呼ばれる。
 しかし、モンゴル高原を中心とした北アジアは、ついに明になれなかった。
 永楽帝が死んだ後に、モンゴルは諦め国境線として万里の長城を新たに築く。

 1393年高麗王が北元を助けるべく満州に軍を派遣したが、副司令官の李成桂が反乱を起こし
 高麗王を殺し、李氏朝鮮をたてて、モンゴルから独立。李成桂は女直人であるという事は
 朝鮮半島ではタブー。高麗時代から尊崇してきたモンゴル式の仏教を弾圧、僧侶は殺され
 寺は焼かれ、仏像も破壊。その法難から逃れて日本に渡ってきた仏像がある。
 それが韓国窃盗団に盗まれた仏像である。

 鄭和ていわの南海遠征・・・海禁政策をとっていた洪武帝に対し永楽帝は
 外向き志向、拡張思考をとる。宦官の鄭和をリーダーにしたのは彼がイスラム教徒で
 イスラム圏に食い込めるという計算があった。永楽帝の根拠地の北京は元時代にイスラム
 商人による東西貿易が栄えていたからでもある。
 永楽帝時代の明王朝は中華秩序の再建と拡大に成功した。その結果、明王朝は皇帝の時代の
 中国史上では、後の清と並んで長寿を保つ統一王朝になった。


 
土木の変・・・6代目英宗正統帝・朱祁鎮は北上してモンゴル部族のオイラートの
 エセン・ハーンに土木堡で包囲され捕らえられる。
 そのすきに弟の景泰帝けいたいてい・朱祁鈺(きぎょく)が7代目皇帝となる。
 エセンハーンは北京城を攻めるが守りが固く、価値のなくなった正統帝を北京に帰す。
 エセン・ハーンは部下に暗殺され、オイラートは勢いをなくす。
 クーデター(奪門の変ダツモンノヘン)で正統帝が天順帝として8代目皇帝に復権し重祚する。
 が、オイラートに惨敗を喫した明に拡張政策をとる力はなく、オイラートにかわって強大化
 したタタール相手に苦戦することになる。
 明朝ではオイライトとモンゴルの攻勢を北慮とよび、倭寇の進行を南倭と呼んだ。
 豊臣秀吉の文禄・慶長の役も明を悩ませた。

 モンゴルに滅ぼされた金の後裔、ハルビン市あたりに生き残った海西女直、もっと
 東寄りの建州女直と呼ばれる部族をマンジュといった。ヌルハチはこの建州部族出身。
 リンダン・ハーンの子エジェイは、母スタイ太后と共に後金軍に降伏。
 スタイ太后から「制誥之宝(せいこうしほう)」の四字を刻んだ玉璽がホンタイジに
 献上された。ホンタイジはチンギス・ハーンの天命が自分に移った印だと解釈。
 ジュンチェンと言う種族名を捨て、マンジュの名に統一すると、国号を大清とし、年号を
 崇徳とした。ホンタイジは明と対決したまま52歳で亡くなる。
 後を継いだのは、フリン順治帝である。その翌年に明が滅亡。清は瀋陽から北京に。
 チンギス・ハーンの子孫に代わり中国を支配するようになる。

 
宦官の跳梁跋扈・・・宦官勢力により明の内部は腐敗し自壊していく。
 最終的には李自成の農民軍によって北京を占領されて滅ぶが、農民軍の北京入城を
 手引きしたのも宦官であった。

 
【最後】
 李自成の乱・・・明軍と清軍(かつて金を樹立した女真族)との間に満州を舞台に戦乱が始まり
 軍事費増加の為、農民に重税をかける。農民は流民化し暴動が起きる。
 李自成と張献中ちょうけんちゅうが流民を束ねる。時の皇帝・崇禎帝ー朱由検(ゆうけん)
 は北京城を攻め込まれ、紫禁城裏手の万歳山の寿皇亭で首吊り自殺。明王朝は滅亡した。
 こうして明は農民の反乱により、勝手に滅ぶ。


 明の皇帝 一覧 漢民族
 1 太祖 洪武帝・朱元璋(しゅげんしょう)/1368年 - 1398年
 2 恵宗 建文帝・朱允炆(しゅいんぶん)/1398年 - 1402年
 3 太宗 永楽帝・朱棣(しゅてい)/1402年 - 1424年
  成祖
 4 仁宗 洪熙帝・朱高熾(しゅこうし)/1424年 - 1425年
 5 宣宗 宣徳帝・朱瞻基(しゅせんき)/1425年 - 1435年
 6 英宗 正統帝・朱祁鎮(しゅきちん)/1435年 - 1449年
 7 代宗 景泰帝・朱祁鈺(しゅきぎょく)/1449年 - 1457年
 8 英宗 天順帝・朱祁鎮(しゅきちん)/1457年 - 1464年
 9 憲宗 成化帝・朱見深(しゅけんしん)/1464年 - 1487年
 10 孝宗 弘治帝・朱祐樘(しゅゆうとう)/1487年 - 1505年
 11 武宗 正徳帝・朱厚㷖(しゅこうしょう)/1505年 - 1521年
 12 世宗 嘉靖帝・朱厚熜(しゅこうそう)/1521年 - 1566年
 13 穆宗 隆慶帝・朱載垕(しゅさいこう)/1566年 - 1572年
 14 神宗 万暦帝・朱翊鈞(しゅよくきん)/1572年 - 1620年
 15 光宗 泰昌帝・朱常洛(しゅじょうらく)/1620年
 16 熹宗 天啓帝・朱由校(しゅゆうこう)/1620年 - 1627年  
 17 毅宗 崇禎帝・朱由検(しゅゆうけん)/1627年 - 1644年
  威宗
  懐宗

 
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