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●秦 皇帝制度の始まり
縦横家・蘇秦は秦に危機感を覚え、合従の策を練る。ライバルの張儀が連衡の策を説き
嬴政(えいせい)の秦が6か国同盟を破る。中国を統一し始皇帝に。
各国の支配者は王をと称したが、他の六か国を滅ぼした嬴政は、新しい称号・皇帝を採用。

【秦の皇帝】
1. 始皇帝(嬴政=えいせい)、在位紀元前221年 - 紀元前210年)父が荘襄王
2. 二世皇帝(嬴胡亥(えいこがい)、在位紀元前210年 - 紀元前207年)宦官・趙高に殺される
3. 秦王子嬰(嬴子嬰(えいしえい)、在位紀元前207年)趙高を殺す、項羽に殺される
焚書・・・民間の書を焼いたのは言論弾圧ではなく漢字の統一
度量衡、荷車の車幅、文字の統一を始皇帝が行う。
宦官・・・が優秀な皇太子を殺し、意のままになるような皇子を担いだので3代で終わる。
実際には3代目になる前に国が倒れたので厳密には2代。
華夏族(かかぞく)は、漢の時代以前に中原の黄河流域に暮らす部族で、漢民族を構成する
主体漢民族はその昔、漢民族とは称されておらず、華夏族と称されていたとされる。
商鞅=しょうおう、秦の強国の功労者は改革により貴族の恨みを受け、
最後には車裂きの刑に処せられる。
始皇帝の焚書坑儒により諸子百家の時代が終わる。
万里の長城・・今残ってる万里の長城は明の時代に建設されたものである。
秦の時代の長城はもっと北方にあった。
【最後】
陳勝・呉広の乱・・・農民軍の反乱は秦軍に敗れるがこれを機に各地で反乱がおきる。
項羽と劉邦が合流し一時的に項羽が天下の覇者になる。農民の反乱が秦を滅亡へ追い込む。
中国史上初めての民衆の大反乱は中央集権制の登場で行われた。
■ここがポイント・・・
殷王朝あるいは周王朝の封建制では王が直接支配できる地域は都周辺の近畿に限られいていた。
ゆえに、全国的な民衆の反乱がほとんど起きていなかったようだ。
崩壊の原因は他の政治勢力の連合であった。
一方、秦の始皇帝が作り上げた中央集権制では全国人民を直接末端まで支配できるようになり、
強制的に人民を徴用できる様になる。
国の経済土台である農業生産から切り離して公共事業や宮殿作りなどに使ってしまうのは暴政
と王朝の疲弊に繋がるが、皇帝を止める事はできなかった。それが民衆の反乱につながる。
皇帝の権力の絶対的な強さこそが皇帝の破滅を招く最大の原因であった。
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